20年前の昨日、
8月12日「羽田発→大阪行」のJAL123便が御巣鷹山に墜落しました。歌手の坂本九さんがその便に乗り合わせ、亡くなった事でも非常に衝撃的な出来事となりました。昨日は、TV各局のワイドショーから報道番組、夜のドラマまでがこの事に関連した話題を取り上げました。
1985年8月12日。
この日私は、1ヶ月余りのホームステイを終え、アメリカはロスアンゼルスから帰国しました。正確には帰りに立ち寄ったハワイからですが。。。。そしてそう、この日は
「日航ジャンボ機墜落事故」その当日だったのです。今でもその日の事は鮮明に覚えています。
日本に帰国した夕刻、成田空港はそのニュースで騒然となっていました。私と同じ様に帰国した仲間達は、成田からトランジットでそれぞれの地方へ帰って行きましたが、墜落事故(正確には機体行方不明)の知らせの直後と言う事も有り、皆帰国の喜びよりもとても不安そうでした。何より事故当日に帰国した娘に対する私達の両親の危惧は頂点に達していたと思います。
それでなくても10代の娘を1ヶ月間アメリカに一人で行かせるなんて、当時は結構大変な事だったのかもしれませんね。現に今ほど留学等多数ではなかったはずですから。。。。
母曰く、「一ヶ月、毎日眠れない日が続いたわ!」との事でした。
事故の壮絶さはNEWS等で皆様もご存知のことと思います。
2000年には墜落機のコックピットの様子を録音した
「ボイスレコーダー」が一般公開されましたが、あの悲痛とも言える数分の緊張感に、ショックを受けない人はいなかったはずです。あれはドラマではなく、紛れも無い現実の出来事なのですから。。。。
既に操縦不能になった機体をなんとか立て直そうと、操縦士達に何度も何度も「頑張れ、頑張れ!」と激励し、懸命に最後まで努力していた機長の様子と力なく「だめかもしれんね・・・」と言った絶望の言葉。全てが伝わって来る衝撃的なテープでした。聞く度に胸が締め付けられる思いです。墜落したであろう瞬間の爆発音が今でも耳に残ります。
一体どれ程の恐怖だったのでしょうか?想像も付きません。。。
事故から昨日でちょうど20年の歳月が流れたけれど、20年前の8月12日、520人の命が一瞬で消えていった事、いつでも誰にでも起こり得る事態だと言う事。そして当時私と同じ年齢やもっと若くして無念にもあの事故で亡くなった方もいたのだと言う事、奇しくも同じ日に航空機を利用した私自身、決して忘れる事はないでしょうし、忘れてはならない出来事なのだと思うのです。毎年8月12日が来る度に、20年前のあの日を思い返す大切な日になりました。犠牲者の方々のご冥福を祈ります。